大阪地方裁判所 平成4年(ワ)10018号 判決 1993年12月20日
原告
内田恭子
ほか三名
甲事件被告
浅井玉代
ほか一名
乙事件被告
株式会社三協
主文
一 甲事件被告浅井玉代及び乙事件被告株式会社三協は、原告内田恭子に対し、金二四六万一二一九円、同内田強司、同内田とみ、同大塚弘美に対し、それぞれ金八二万〇四〇六円及び右各金員に対する平成元年一二月一九日から各支払済みまで年五分の割合の金員を支払え。
二 両事件原告らの甲事件被告福本君子に対する請求及び甲事件被告浅井玉代及び乙事件被告株式会社三協に対するその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、甲事件被告浅井玉代との関係及び乙事件の関係では、これを七分し、その六を原告ら、その余を被告らの負担とし、甲事件被告福本君子関係では、原告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
(甲事件)
被告らは、原告内田恭子に対し、金一六四一万一七八〇円、同内田強司、同内田とみ、同大塚弘美に対し、それぞれ金五四七万〇五九三円及び右各金員に対する平成元年一二月一九日から各支払済みまで年五分の割合の金員を支払え。
(乙事件)
被告は、原告内田恭子に対し、金一六四一万一七八〇円、同内田強司、同内田とみ、同大塚弘美に対し、それぞれ金五四七万〇五九三円及び右各金員に対する平成元年一二月一九日から各支払済みまで年五分の割合の金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、普通乗用自動車と接触して負傷し、後に自殺した被害者の遺族が、その運転者、その保有者(と原告の主張する者)(双方とも甲事件)及び運転者の雇い主(乙事件)に対して、それぞれ、民法七〇九条、自賠法三条及び民法七一五条に基づき、傷害及び死亡による損害の賠償を請求した事案である。
一 当事者間に争いのない事実及び証拠上容易に認定できる事実(証拠説示のない部分は、当事者に争いがない事実である。)
1 甲事件被告浅井(被告浅井)は、平成元年一二月一八日午後五時七分頃、大阪市鶴見区緑地公園一番先の花博会場予定地の工事中であつた道路において、普通乗用自動車(なにわ五五は五一一六)(被告車両)を運転して走行していたところ、仮歩道から道路を横断しようとした内田康男(亡康男)に衝突し、転倒させた(時刻について、甲一)。
2 亡康男は、本件事故によつて、頭部外傷Ⅰ型、頭部挫創、全身打撲傷を負い、平成元年一二月一八日から翌二年一月六日まで、聖友病院に入院し、翌七日から同月一一日まで同病院に通院し、翌一二日から同年六月八日まで協立病院に通院(実通院日数五三日)し、その間、同年三月二日から同月三一日まで及び同年四月三日から翌五月二六日まで同病院に入院し、同年五月三一日から同年六月九日まで大阪脳神経外科病院に通院し、同日から同月一三日まで同病院に入院した(甲三ないし五、乙二の一、三、なお、甲四の四月二六日退院は、乙号証、原告弘美本人尋問の結果からして、五月二六日の誤記と認められる。)。
3 亡康男は、平成二年六月一三日自殺した(日にちについて甲六)。
4 乙事件被告会社(被告会社)は、被告浅井の雇用者であつて、本件事故は、その事業の執行に基づくものである(被告浅井本人尋問の結果)。
5 被告らから、両事件原告ら(原告ら)に対し、本件事故に基づく損害賠償として、金三〇万円が支払われた。
6 本件損害賠償請求権は、妻である原告恭子が二分の一、子であるその余の原告らが各六分の一の割合で相続した(甲二)。
二 争点
1 被告らの責任の有無ないし過失相殺
(一) 原告ら主張
被告浅井は、徐行義務違反、前方不注意、スピード違反等の過失があつたものであつて、被告らの責任は免れない。また、過失相殺は争う。
甲事件被告福本(被告福本)は、被告車両の運行供用者である。
(二) 被告ら主張
否認ないし争う。
本件事故当時、亡康男は、花博の工事を担当していたが、工事現場付近である仮歩道から柵を越えて道路に突然飛び出したものであるから、本件事故は、専ら、亡康男の過失行為に基づくものであつて、かつ、被告浅井には、原告主張の過失もなく(特に、工事現場に、工事人らしき人がいても、異常に感じる理由はない。)、前照灯も付け、道路の中央寄りを走行していたものであつて、被告浅井には、まつたく過失はない。また、被告車両には、機能上の障害も、構造上の欠陥もなかつた。したがつて、被告らには、責任はない。
仮に、責任があつたとしても、亡康男には、右過失があるので、大幅な過失相殺がなされるべきである。
2 自殺等との因果関係
(一) 原告ら主張
亡康男が自殺に至つたのは、本件事故による外傷に伴う苦痛に加えて、加害者の過失の内容からくる他罰的意識や、加害者の不誠実による災害神経症的状態によるものであつて、とりわけ、交通事故被害者の自殺に至つた事例のうち、受傷部位が頭部による外傷が極めて多いことも合わせ考えると、本件においても、被害者の脳幹部に加えらえたなんらかの傷害も自殺を導いた要因といえるから、本件事故と自殺の間には、少なくとも、二分の一の因果関係は認められるべきである。
(二) 被告ら主張
亡康男の協立病院以降の治療においては、欺薬の効果があり、そこで訴えている眩暈と肩痛の症状は、既往症と重なつているものであるから、そこでの治療は、本件事故との因果関係はなく、亡康男が、自殺を図る際に被告浅井を恨んだのは、被告浅井が亡康男の精神状態がたまたま選んだ恨みの対象となつたにすぎず、その事実から因果関係を肯定すべきでない。
三 損害一般
第三争点に対する判断
一 被告らの責任及び過失相殺
1 本件事故の態様
(一) 甲八、検甲一ないし七、被告浅井玉代本人尋問の結果によると、以下の事実が認められる。
本件事故現場の道路は、アスフアルト舗装されており、平坦であつて、事故当時乾燥していた。最高速度は時速三〇キロメートルで、追越しのためのはみ出しは禁止されており、駐車禁止となつていたが、歩行者横断禁止とはされていなかつた。本件道路は、市街地にあり、交通は普通であつて、被告車両方向である東側からの見通しは前方、左方、右方ともよかつた。本件道路の概況は、別紙図面のとおりであるが、花博のため、歩道が工事中であつたので、西行き車線に仮歩道が設置され、車道幅が約六・五メートルとなつていた。本件事故当時、夕方で、薄明かりの状態であつた。
被告浅井は、被告車両を運転して、時速約四〇キロメートルで、本件事故現場付近を東から西に走行していたところ、前方に横断者を認め、その後ろに亡康男が、続いて仮歩道の北側の柵を跨いでいるのを認めたが、その時点では、亡康男は、車道の横断を開始する際には、左右の安全の確認をするだろうと考え、まつたく危険を感じなかつたため、そのまま進行した。しかし、その後、別紙図面<1>付近にさしかかつた時に、亡康男が、<ア>付近で、跨いだ後そのまま車道に進入するのを認めたため、危険を感じ、急制動したが及ばず、<2>付近で、被告車両前部中央付近を、亡康男に衝突させ、転倒させ、<3>付近で停車した。
(二) なお、被告車両の速度の点については、被告本人尋問の結果においては、時速三〇ないし四〇キロメートルとするものであるが、その点については、当裁判所に顕著な、乾燥したアスフアルトの平均的な摩擦係数である〇・七と、甲八によつて認められるスリツプ痕の長さ一二メートルを前提とすると、制動初速度が時速四六・六キロメートルと認められること、<1>から<3>の距離が二二・一メートルであつて、摩擦係数を同様の〇・七、空走時間を一・〇秒とした場合の一般的な制動距離と空走距離の和は一九・九四メートルであると認められること、それらの判断には、道路状況、車両の状況等である程度の誤差があることが明らかであることを総合して、前記認定としたものである。
2 当裁判所の判断
前記認定の事実からすると、被告浅井は、遅くとも、亡康男が前方に横断する人に続いて仮歩道付近にいるのを見た時点で、減速徐行等し、その横断に備える義務があつたのに、それを怠つたこと及び約一〇キロメートルの速度違反の過失があるから、本件事故について、民法七〇九条に基づく責任がある。同様に、被告会社にも民法七一五条に基づく責任がある。
しかし、一方、原告にも、左右の確認をせず、車道を横断した過失があるので、相応の過失相殺をすべきである。そこで、その割合であるが、前記認定の道路の状況(本件道路が横断禁止とされてなかつた点も含む。)、被告に速度違反もあつたこと等の前記認定の各事実からすると、一割をもつて相当と認める。
3 なお、被告福本が運行供用者と認めるに足りる証拠はなく、かえつて、被告浅井本人尋問の結果によると、被告福本は、被告会社に車庫証明の関係で名前を貸していただけとも窺え、被告福本に責任はない。
二 自殺等と本件事故との因果関係
1 亡康男の症状の経過
前記認定の事実に甲三ないし五、九、一一、乙一、同二の一ないし五、同三、四、原告弘美本人尋問の結果によると、以下の事実を認めることができる。
亡康男は、本件事故当日である平成元年一二月一八日頭部外傷第Ⅰ型、頭部挫創、全身打撲傷の診断を受け、聖和病院に入院し、治療を受けたが、当初の診断においては、頭部打撲痛、左側頭部腫張、右膝痛、腫張、左肩部痛が認められ、意識清明で、疼痛が自制内であつた。その後、多少右膝の痛みが増したり、不眠がちとなつたこともあつたものの、徐々に症状は軽快し、平成二年一月六日に退院し、その後、医師の指示もあつて、翌七日から一一日まで同病院に通院した。
亡康男は、それでも右膝関節の痛みがとれないため、翌一二日から、協立病院に通院を開始したところ、右膝外側々副靱帯損傷等の診断をされ、ほとんど毎日、リハビリ等のため通院していた。同年三月二日眩暈がひどく、救急車で搬入され、同病院に入院したが、当初は、頭痛、眩暈、耳鳴り、右膝関節の痛み、右大腿痛、全身倦怠を訴え、食欲もなかつたが、徐々に症状は軽快し、主な症状は、体動時の眩暈や頭痛中心となつた。なお、頭部CTの所見も正常範囲で、頸部等のレントゲンでも異常は認められず、平成二年三月一六日には、同病院の神経内科で、臨床的異常はないと診断され、事故被害者意識著明による精神不安ではないかとの指摘をされており、同月一九日、同病院から紹介された橋田耳鼻咽喉科では、平衡機能検査において、左耳機能低下が認められ、一般的に眩暈の原因となりうる疾病であるメニエル様症候群と診断された。なお、このころ、偽薬によつて、症状が軽快したこともあつた。その後、眩暈、左耳鳴りは残存し、後頸から肩甲骨幹部痛、背部痛も訴えていたものの、全体としては症状は軽快し、同月三一日退院となつた。
しかし、亡康男は、翌四月三日、眩暈、頭痛、頸部痛を強く訴え、再び、救急車で同病院に搬入され、入院した。その際、意識は清明であつたが、過換気気味で、おう吐があり、手足の痺れがあつて、興奮気味であつた。その後は、頸部痛、頭痛、両肩痛及び左上下肢の痺れを訴え、その訴えによると前回より症状は昂進したとのことではあつたが、メニエル様症候群以外に、他覚的な所見はなく、偽薬注射によつて、痛みが軽減することも多く、医師や看護婦には、精神的なものの影響も大きいと判断されており、薬に頼らないようにとの指導を受けていたものの、強く痛みを訴え続け、注射や投薬を促すことが多かつた。五月二六日、医師の、偽薬によつて痛みが軽減するので、心因的な要素が強いものであつて、入院治療は必要ない等の説明、説得により意には沿わないのに、同病院を退院したものの、その後も、ほとんど毎晩痛みを訴え、同病院に受診し、痛み止めの投与を受けたが、亡康男の感じる痛みは日々増強するばかりで、同年五月三一日、自殺を図つたところを原告恭子に止められた。
亡康男は、同日、大阪脳神経外科病院に通院を開始したが、神経学的所見は正常であつて、頭部及び頸部のレントゲン上も、頭部CT上も異常は認められず、同年六月九日同病院で、抗不安、抗うつ剤、消炎鎮痛剤、筋緊張緩和剤、胃薬の処方を受けたものの、同日夜に激しい痛みを訴え同病院を受診し、入院したが、同月一三日に退院するよう言われたところ、同日朝、同病院を出奔し、同日頃、家族への惜別の言葉の他、痛みの強さを訴え、当時の勤務先、花博協会や被告浅井に対して責任をとるよう命じた内容の遺書をしたため、自宅に郵送し、自宅の見える五月山の山中で首つり自殺をした。
2 亡康男の事故前の精神的状態等の健康状態
原告弘美本人尋問の結果、甲七によると、亡康男は、事故当時、健康な五六歳の男子であつて、事故前に特に眩暈や顕著な頭痛、肩痛等を訴えたことはなく、仕事熱心で、明るい性格で家族との折り合いもよかつたことが認められ、特に本件事故後の症状に関係するような顕著な身体的、精神的疾患があつたと認めるに足りる証拠はない。
なお、被告らは、亡康男に眩暈及び肩痛の既往症があつたとする主張をするものの、その根拠とする乙二の二の二五枚目の「以前内耳性めまいにてお世話になつた」という記載のある橋田耳鼻咽喉科への紹介状は、協立病院での二回目の入院の際のものであり、前記認定のように、同病院での事故後の一回目の入院の際も同病院へ紹介されていたものであるから、その記載は事故後一回目入院中の症状を指していると推認するのが相当であるから、それによつて、眩暈の既往症があつたとは認められず、他に、本件事故後の症状と類する既往症があつたと認めるに足る証拠はない。
3 当裁判所の判断
(一) 前記認定の症状の経過からすると、右のとおり推認するのが相当である。
亡康男は、本件事故によつて負つた頭部外傷Ⅰ型、頭部挫創、全身打撲(右膝の損傷も含む。)は、聖和病院での診察中にほぼ軽快し、協立病院へ受診するころには、主に右膝の症状が残つただけであつた。ところが、それも軽快しつつあつたところに、平成二年三月二日ころ、偶々、本件事故との因果関係が認められないメニエル様症候群による内耳性眩暈が発症したところ、亡康男は、それを本件事故による傷害に基づくものと判断してしまつた。それによつて、亡康男は、事故による被害者意識が昂進したことによつて、精神状態が極めて不安定になり、そのような不安がない場合に感じる痛みを越える痛みを感じるようになつてしまい、その痛みによつて、ますます精神的不安定が増すという悪循環となつて、専門科への受診がないために病名を特定することまではできないものの、なんらかの精神的な疾患が発症するような状況となつてしまい、その影響と感じる痛みの昂進があいまつて、自殺してしまつたものである。
(二) 右認定からすると、亡康男の協立病院での入院以降の治療及び亡康男の自殺は、本件事故によつて直接発生した傷害自体に対応するものとはいえないものの、メニエル様症候群の発症とあいまつているとはいえ、本件事故がなければ、右治療と自殺はないという意味で少なくとも誘因となつていると認められる。では、それらの関連が、法的意味での因果関係を認めるべき程度であるか及び認めるとして寄与度はどの程度かが問題となるが、亡康男は、本件事故前は、健康に就労に励んでおり、精神的な既往症があつたと認めるに足る証拠はないことから、本件事故の亡康男に与えた影響は少なくないといえ、因果関係は肯定すべきであるものの、右治療及び自殺の直接の誘因となつた症状は、本件事故と因果関係のないメニエル様症候群によるものであること、本件事故の際の直接の外傷の程度及びメニエル様症候群発生前のその症状は特に重いものとはいえないこと、精神的な疾患の発症には、一般的に心因的要素の寄与が大きいこと等を勘案すると、右治療と自殺に対する本件事故の寄与度は一割をもつて相当と認める。
三 損害(寄与度減額後のもの)
1 入院付添費 否定(原告主張三五万五五〇〇円)
付添が必要であつたと認めるに足りる診断書類がないので、認められない。
2 入院雑費 三万七五七〇円(原告主張一〇万二七〇〇円)
前記のとおり、亡康男は、聖友病院に二〇日入院し、協立病院に八四日、大阪脳神経外科病院に五日入院したと認められ、一日当たりの雑費が一三〇〇円で、協立病院以後の入院の寄与度は一割と認められるから、右のとおりとなる。
一三〇〇×二〇+一三〇〇×〇・一×(八四+五)
3 交通費 一万一八四二円(原告主張一万六九〇〇円)
聖友病院分については、弁論の全趣旨によると、往復一一四〇円で通院一日分であるから、一一四〇円と認められる。
協立病院については、弁論の全趣旨によると、往復二六〇円で、前記認定及び乙二の一によると、入院前の通院三九日、その後の通院が一四日と認められるので、入院後の通院は寄与度は一割と認められるから、右のとおり一万〇五〇四円となる。
二六〇×三九+二六〇×〇・一×一四
大阪脳神経外科病院については、弁論の全趣旨によると、往復六六〇円で、前記認定によると、実通院日数は三日で、寄与度は一割と認められるから、右のとおり一九八円となる。
六六〇×〇・一×三
4 休業損 七六万六一四九円(原告主張二三七万一九二〇円)
甲七によると、事故前一年の収入は三三一万三三二三円と認められるところ、平成元年一二月一八日から協立病院の入院の前日である平成二年三月一日までの七四日間分は一〇割、翌二日から死亡する同年六月一三日までの一〇四日分の一割分が休業損害と認められ、右のとおりとなる。
三三一万三三二三円×七四÷三六五+三三一万三三二三円×〇・一×一〇四÷三六五
5 入通院慰藉料 四〇万円(原告主張一五〇万円)
前記認定の入通院の経過、平成二年三月二日以降の入通院分については寄与度が一割であることを考慮すると、右のとおりとなる。
6 葬儀関係費 一〇万円(原告主張因果関係による減額後六〇万円)
亡康男の家族関係、本件事故への死亡への寄与度が一割であること等を考慮すると右金額が相当である。
7 逸失利益 一八四万二七〇四円(原告主張因果関係による減額後一四一七万六五四一・五円)
前記の基礎収入、亡康男の年齢からすると、就労可能年数である六七歳まで就労できるというべきであつて、生活費控除率を家族関係からして三割とし、新ホフマン係数によつて中間利息を控除し、寄与度が一割であることを考慮すると右のとおりとなる。
三三一万三三二三円×〇・七×七・九四五×〇・一
8 慰藉料 二二〇万円(原告主張因果関係による減額後一一〇〇万円)
亡康男の家族関係、寄与度が一割であること、死亡時の亡康男の精神状態からすると、右金員をもつて相当と認める。
9 損害合計 五三五万八二六五円
四 過失相殺後の損害額 四八二万二四三八円
五 填補
前記の既払い額三〇万円を控除すると、原告の損害は、四五二万二四三八円となる。
六 弁護士費用 四〇万円
本件訴訟の経過、認容額からすると、右金額をもつて相当と認める。
七 結論
よつて、原告らの請求は、被告浅井及び被告会社に対し、合計金四九二万二四三八円即ち、原告恭子は二四六万一二一九円、その余の原告らは各八二万〇四〇六円及びそれぞれに対する遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
(裁判官 水野有子)
別紙 <省略>